【仮定:余命1年】

余命1年だと仮定して生きる女。2021.8.26カウントダウンスタート

【残り何日か不明】ママ~アダルトチルドレンについて~

こんばんは、ななです。

残り何日か数えるのが面倒になったので

これからはカウントダウンせずにブログ書きます。

 

最近、うつでもなくハイでもない日が続き

いたって健康的に普通に過ごしています。

なんとなくブログを書く気にならなかったので

無理せずブログは書かず過ごしました。

 

ここんところのハイライトとしては、

・12年ぶりに眠剤の処方がなくなったこと

・ビールを馬鹿みたいに飲むのをやめた(とりあえず1週間)

・バイト行くの嫌だったけど行けた

・ダイエットを再開したこと

ぐらいでしょうか。眠剤はでかいな。

 

「バイト行きたくないよ~…」と言いながらも

勝手に体は動いて準備を始めてるし、気づいたら

バイト用の香水つけてるし、休まず行けています。

 

夫に、「バイト行きたくない!っていうのが、

うつの行けない…じゃなくて、普通の人と

同じくらいの行きたくないに変わったんだね。

えらいね。すごいね。元気なんだね。」と言われて

はっとしました。確かにそうだな。

普通になってきてるんだ、私。

 

さて、今日はアダルトチルドレンを克服した話をします。

 

私は小さい頃から、かなり我が強く

大人の真似をしたり、親に甘えるのが嫌いな

可愛くない子どもでした。

私が生まれて2年後に弟がうまれ、

そして5年後に弟がうまれて、

3人きょうだいの長女として育ちました。

 

ママは、子どもに赤ちゃん子言葉を

使ったりするタイプの親ではなく

標準語で大人と同じように話しかける人でした。

でも愛情を感じなかったわけではなく

可愛がってくれて、愛してくれたことは

よーくわかっています。

 

問題が起きたのは、私が3歳の時。

 

小さなアパートに家族4人で住んでいたのですが、

ある日大きなお家に連れていかれて

時々寝泊りするようになりました。誰の家だろう?

家族以外誰もいなけど…と思っていました。

 

そして気づいたらその大きなお家に引っ越していて、

おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に

住むことになっていました。

(今思うと、慣れさせるために泊まっていたのかな?と思います。)

そして家から5分もかからないところに、

パパの弟であるおじも住んでいました。

 

ほどなくしてママは一番下の弟を妊娠し、出産。

その頃からママは、まず子どものごはんを作る

そして夕方帰ってくるおじいちゃんのごはんを作る

さらに夜帰ってくるパパとおじさんのごはんを作り

最後に帰ってくるおばあちゃんのごはんを作ることになります。

 

お昼過ぎから、買い出しや下準備をはじめて

最後に仕事から帰ってくるおばあちゃんの分を

作るのは21時から22時頃までずっと

夜ごはんをしなければいけませんでした。

 

みんなそれぞれ食べる時間も違えば、

好み、食べられないもの、こだわりも違い

3人の小さい子どもを見ながら毎日ごはんを

つくることは本当に大変だったと思います。

今なら、それがどれだけすごいことかよくわかります。

 

ママがピリピリしはじめたのはその頃から。

ママはこわい、ママはよく怒るというイメージが

つきはじめたのもこの頃からです。

 

私は、なぜママが怒っているのかわかりませんでした。

なぜママが不機嫌なのかもわかりませんでした。

この頃から、ママの顔色をうかがうようになります。

ママが笑ってくれるように、時には笑ってもらえるように作り話をしたり

ママにたくさん質問をして、たくさん話しかけるようになります。

それでもママはよく怒るし、不機嫌な返事が多かった気がします。

 

大人になってからも、不機嫌な人、怒っている人に敏感なのは

治りませんでした。怒っている人がいたり、

ピリピリした空気だとたえきれずに、何が原因なのか

自分が何かしてしまったのではないか不安で不安で

しかたなく、何も手につかない時があるほどです。

 

それは、職場でも友人関係でも一緒でした。

誰に対しても顔色をうかがい、相手にあわせたり

必要以上に話しかけてご機嫌をとる癖がありました。

今でも若干残っているので、バイト後や

人と会ったあとはどっと疲れます。

 

たかがそれだけのこと、と思うかもしれませんが

小さな私の、せまい世界の中では大きなことでした。

もっと大変な人もいる、もっと過酷な幼少期だった人もいる、

わかっているのですが私にとっては重要なことだったのです。

 

その後、気が付いたらママは3人の子どものごはんと

パパと自分のごはんだけを作って食べるようになっていました。

おじいちゃんたちは、おばあちゃんが作ったごはんを食べていました。

二世帯住宅だったので、キッチンも二つあり

食事する階もバラバラになりました。

 

それでも、ママはこわい、ママは怒っているという

ママに対するイメージを消すことができず

基本的にいつもママの顔色をうかがうようになります。

 

反抗期になり、ママとはよく喧嘩したし

家に帰らないことも多々あったけど

年齢を重ねるごとに姉妹のように仲良くなり

今までのこわいママのイメージはなくなり、

母や姉というよりは妹のような印象でした。

 

でも、小さい頃の私は心の中にずっといました。

5歳の時の、私です。

 

その克服の一つとなったのが、子どものように

人に甘えることでした。わがままを言ったり、

子どものようなものをほしがったり、

気持ち悪いかもしれませんが子どものような

話し方をしたり。それを受け入れてくれたのが

最初に結婚した夫でした。

 

いつもはどちらかというとハキハキしている

タイプで、当時は仕事もバリバリやって、ついでに

家事もちょちょいと片づけてしまうような私でしたが

スイッチが入る時があるのです。

子どもスイッチです。(こう呼んでいます…)

 

そのスイッチが入ったときは、人が

変わったように甘えてしまいますが

前の夫は嫌がることなく受け入れてくれて

優しく接してくれました。

人格がかわったようになる私を

受け入れてくれるのは両親ではなく夫でした。

 

そして私が25歳のある日のことです。

子どもスイッチがいつも以上に入ってしまい、

泣き出して止まらなくなります。

いつもなら夫がなだめればおとなしくなるのに

その日はおとなしくなりませんでした。

 

私は無意識にママに電話をかけていました。

 

ママに、泣きながら訴えました。

ママはどうしていつも怒っているの、

どうして不機嫌なの。

ママはびっくりしたと思います。

だって怒ってないし不機嫌じゃないから。

 

でも完全に子どもに戻っているので、

私はそのまま話を続けて泣きじゃくりました。

ママ何もできなくてごめんなさい、

私が子どもだからママのかわりに

お料理できなくてごめんなさい、

ママは私のこと嫌いだと思うけど

私はママのことがとても大好きだよ、と。

 

ママに色々と言われましたが、

混乱していたのと子どもの人格が

強くですぎたことで記憶があいまいです。

 

でも、ママに言われたことで

今でも忘れられない言葉があります。

 

「このことを、死ぬ間際に聞かなくてよかった。

そんな風にずっと思わせ続けていたとしたら、

私は本当どう償っていいかわからない。

だから、今聞けてよかった。」

という言葉です。

 

このエピソード以外にも、たくさん

苦しかったりぶつかったりしたことが

ありましたが、このことがキッカケで

一気にアダルトチルドレンが良くなりました。

あの時子どもの私がでてきてくれて、

ママに思っていることを伝えてよかったと思います。

話している最中は本当に苦しくて、

涙もずっととまらなかったけど。

 

それからは、徐々に人の顔色をうかがう回数が減ったり

怒っている人がいようと、私は私!と割り切れるように

なってきたり、いきなり泣き出すようなこともなくなりました。

 

でも今でも子どもスイッチが入る時があります。

今の夫にも受け入れてもらえています。

言葉遣いも、言動も本当に子どものように

なりますが夫は気持ち悪がらずに

たくさんほめて、抱きしめて、たくさんなでてくれます。

夫には感謝しかありません。

 

5歳の時の私が完全に癒される日がくるのか

わかりませんが、今は昔よりだいぶ楽に生きることができています。

 

ママは悪くない。ママが一番つらかった。

環境が悪かったのだと思います。

 

私の、アダルトチルドレンの経験は以上です。

 

書いていて色々思い出したけど、

今は本当に楽になったな…よかった。

 

さて、明日からバイト3連勤です。

がんばるぞ。のんびり、ぼちぼち。

 

それでは!